大阪高等裁判所 昭和41年(う)247号 判決 1966年6月27日
主文
原判決を破棄する。
被告人会社を科料六〇〇円に処する。
原審における訴訟費用中証人前田晃男に支給した分を除くその余の費用は全部被告人会社の負担とする。
理由
控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について
論旨は要するに、未成年者飲酒禁止法四条三項により準用される明治三三年法律五二号(法人ニ於テ租税ニ関シ事犯アリタル場合ニ関スル法律)(以下、法律五二号と略称する)二条によると「法人ヲ処罰スベキ場合ニ於テハ法人ノ代表者ヲ以テ被告人トス」と定めており、右各法条は昭和二二年の両法律の改正に際しても、そのまま存置されているのであるが、それは、法人の代表者を被告人とすることにより、代表者の監督責任を自覚させるという合理的な政策的理由によるものである。しかるに原判決は右法律五二号二条は空文化したとして、これを無視したのであるが、これは裁判所が消極的立法権を有することになり、原審の訴訟手続は右法条のみならず憲法四一条、七六条三項に違反し、右違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。
よって案ずるに、未成年者飲酒禁止法四条三項が「法律五二号ハ本法ニ依ル犯罪ニ之ヲ準用ス」と規定し、法律五二号二条が「法人ヲ処罰スベキ場合ニ於テハ法人ノ代表者ヲ以テ被告人トス」と規定していること、未成年者飲酒禁止法は昭和二二年一二月二二日法律二二三号民法の改正に伴う関係法律の整理に関する法律により、また法律五二号は同年四月一六日法律六一号検察庁法により、それぞれごく一部の改正をみたが、現在まで前記各法条が削除されることなくそのまま存置されていることは、所論のとおりである。
しかしながら、明治二三年の刑事訴訟法(同年一一月一日施行)は法人に被告人としての当事者能力を認めなかったため法人を処罰する場合における手続について何等規定するところがなかったが、明治三三年に至り法律五二号一条において法人を処罰する特別規定を設けた結果、これに対処するため刑事訴訟法を改正することなく法律五二号二条においてその手続を定め爾来法人を処罰する各種の特別法中に右法律を準用する旨の規定をおいたものと解せられるところ、旧刑事訴訟法(大正一一年法律七五号、同一三年一月一日施行)は、その三六条一項において「被告人法人ナルトキハ其ノ代表者訴訟行為ニ付之ヲ代表ス」と定め、附則六一九条に「本法施行前法人ヲ処罰スベキモノトシテ其ノ代表者ヲ被告人ト為シタル事件ニ付テハ本法施行ノ日ヨリ法人ヲ被告人トス」と規定して、法人に当事者能力を認めるに至り、現行刑事訴訟法もその二七条一項に、同趣旨の規定をおいて、法人に当事者能力を認めているのであるから、法人を処罰すべき場合には、当然、法人を被告人とすべきものというべく、法律五二号二条は旧刑事訴訟法の施行に伴い、実質上改廃せられたものと解すべきである。ただ、右法条が現在に至るまで削除をみることなく、形式的に存在しているのは、立法の不備というほかはない。してみれば、法律五二号二条が現在に至るまでそのまま存置されているのは、法人の代表者を被告人とすることにより、代表者の監督責任を自覚させようという合理的な立法政策に基くものであり、今なおその効力が存すとの所論は、弁護人らの独自の見解であって採るをえない。
しかして、本件においては、未成年者飲酒禁止法一条三項、四条二項により営業者である株式会社大松を被告人として訴追及び審判がなされ、その代表者である代表取締役大谷時松がすべての訴訟行為を代表して行なったものであることは、記録によって明らかなところであるから、原審の訴訟手続は刑事訴訟法二七条一項に適合するものであって、記録を精査しても法令違反の点を見出すことができない。論旨は理由がない。
控訴趣意中、事実誤認の主張について
論旨は、(一)被告人会社従業員山加進は本件違反行為当時、西本泰雄が未成年者であることを知らなかったものである。(二)仮りに、山加進が西本を二〇才に満たない者であると認識していたとしても、山加は成年者と未成年者とが来店したときと同様の気持で、コップは二個出したが、ビールは成年者(前田晃男を成年者と認識していた)に販売供与したものであって、西本に対する販売供与行為はないというのである。
しかしながら、原判決挙示の各証拠、特に証人西本泰雄、同山加進(二回)の原審公判廷での各供述を綜合すると、山加進は西本を一七、八才、前田を二〇才なないし二一才位と思ったこと及び西本と前田は友人であるから二人で仲良く割勘で飲むのであろうと思いながら、コップ二個とビール合計三本を提供したことが認められる。もっとも、証人山加進は最初、右認定にそう供述をしながら、その後、一たん右認定に反し、各所論にそう供述をしたけれども、すぐ後に同証人自らこれを否定し、再び右認定にそう供述に戻っているのであり、しかも右各所論にそう供述はあいまいで、弁護人の誘導的な質問に迎合して答えたものとの疑が濃厚であるからこれを信用することはできない。そして、前記認定の事実によれば、山加進は、西本泰雄が満二〇年に満たない者であることを知りながら、同人にビールを販売供与したものというべく、所論はいずれも肯認することができず、この点に関する論旨も理由がない。
控訴趣意中、法令の適用の誤りの主張について
(一)論旨は、未成年者飲酒禁止法は、営業者に故意、過失が存在しないときでも処罰するものであるから、適法手続に関する憲法三一条に違反するものである。というのである。
しかしながら、未成年者飲酒禁止法四条二項のいわゆる転嫁罰規定は、其の業態上酒類を販売又は供与する営業者の代理人、同居者、雇人其の他の従業者が其の業務に関して、満二〇才に至らない者の飲用に供することを知って酒類を販売又は供与した行為に対し営業者が知っている場合は勿論知らない場合においても営業者として右行為者らの選任、監督その他違反行為を防止するために必要な注意を尽さなかった過失のあることを前提とし、かつ、その過失の存在を推定した規定と解すべきであるから、営業者において右に関する注意を尽したことの証明がなされない限り、営業者は自己の指揮によらないことの理由だけではその刑責を免れないとする法意であると解するを相当とする。それ故右規定は、故意過失もなき営業者を処罰するものであるとの前提に立脚して、これを憲法三一条違反であるとする所論はその前提を欠くものであって理由がない。
(二)論旨は、原判決は被告人において行為者の選任、監督その他違反行為を防止するために必要な注意を尽さなかった等の過失が存在したか否かについて審理せず、従ってこれが判断をせずに被告人を有罪としたのであるから、明らかに法令の適用に誤りがあり、判決に影響をすること明らかである、というのである。
しかしながら、前記のごとく未成年者飲酒禁止法四条二項は、営業者に違反行為者の選任、監督その他違反行為を防止するために必要な注意を尽さなかった過失の存在を推定した規定であるから、右過失の存在は検察官において主張及び立証をすることを要せず、営業者である被告人において過失の不存在を主張及び立証して、右推定をくつがえさないかぎり、被告人はその刑責を免れないものというべく、従って有罪判決中に、被告人に過失のあることを明示することを要しないものと解する。しかして、記録によれば、原審公判廷において、証人山加進(第二回公判)及び被告人会社代表者大谷時松に対し、被告人会社代表者の過失の存否に関連する尋問ないし質問がなされており、証人山加進(二回)の原審公判廷における証言によれば、被告人会社の店に未成年者には酒類を販売しない旨のはり紙はしてあるけれども、同人は被告人会社代表者から未成年者には酒類を販売してはならない旨の指示をうけたことがないことが認められる。もっとも、被告人会社代表者は原審公判廷において、同人が山加進を雇うとき履歴書をとり、役場への照会をし、山加に対し、未成年者には絶対に酒類を販売してはならない、若い学生や運転手には酒を売ってはならない旨二、三度口頭で注意した。一月のうち一五日位、一日一時間ないし三時間位店に出ている旨供述しているけれども、前記証人山加進の供述及び被告人会社代表者の司法警察職員に対する供述調書に照らし、にわかに信用することができず、仮りに、右供述が真実であるとしても、右の程度では、まだ被告人会社代表者が従業者である山加進の違反行為を防止するために相当の注意を尽したとはいえないし、記録を精査しても、他に相当の注意を尽したことを認めるに足る資料は存在しない。以上の諸点にかんがみると、原審は、被告人会社代表者に過失があったか否かについても判断したうえ判決をしたものと考えられるので、この点に関する論旨も理由がない。
(三)論旨は、未成年者飲酒禁止法四条二項にいわゆる営業者とは自然人としての営業者を指し、法人を含まない。同条三項により、法律五二号一条の準用をまってはじめて営業者である法人を処罰しうるのであるところ、原判決は右法条を適用せず、未成年者飲酒禁止法一条三項、四条二項、三条のみを適用しているのは、法令の適用に誤りがあると主張する。
よって案ずるに、原判決が、法律五二号一条を適用せず、未成年者飲酒禁止法一条三項、四条二項、三条のみを適用して、被告人会社を処断していることは所論のとおりである。
そして、わが法制上、犯罪の主体となるものは通常自然人のみであって、法人は原則として犯罪能力を有せず、特に法人を処罰する法規の存在する場合にのみ、法人に刑罰を科することが許されると解すべきことも所論のとおりである。しかし、法人の処罰につき、明文の規定がない場合であっても、行政法規の規定自体の解釈から明らかに法人の処罰をみとめうるときは、この規定を刑法八条にいわゆる特別の規定と解して法人を処罰することができるものと解すべきであるから、未成年者飲酒禁止法四条二項の規定自体の解釈から明らかに法人の処罰をみとめうるか否かにつき考えるに、同条項は前記の如く営業者が行為者の選任、監督その他違反行為を防止するために必要な注意を尽さなかった過失の存在を推定した規定であるから、倫理的主体性を有しない法人は、同条にいう営業者に当然には含まれるものとは解し難い。もっとも従業者が法人の業務に関して違反行為をなした場合に、法人を処罰しようとするのは、自然人である代表者が従業者に対する選任、監督等の注意義務を懈怠した点につき、一般予防的見地から、法人とその機関という関係に着目して、法人にその責任を帰属せしめようとするものではあるが、ただかような理由だけから、法人を処罰するという明文がないのに、法人の処罰をみとめることは、罪刑法定主義に反するものといわなければならないし、未成年者飲酒禁止法が改正後も四条三項の準用規定を存置しておる趣旨からすると営業者が法人である場合において法律五二号一条を準用して、その法人を処罰しようとしているものと解することによつて、初めて右準用規定の存在理由があるものと考えられるから前記営業者には法人が含まれていないことが明らかである。しかるに原判決は右各法条を適用せず、未成年者飲酒禁止法一条三項、四条二項、三条のみを適用して法人である被告人会社を処断したのであって、法令の解釈適用を誤ったものというべく、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は理由がある。(笠松義資 中田勝三 佐古田英郎)